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お手本とする人

話の流れ的には“日本に子連れ里帰り(天草編1)- 旅ch”の続きになりますが、旅話ではないので“日々ch”に入れることにしました。


←熊本県・天草の海。

・・・この海を見ながら育った男がいた。

貧しい農家の生まれで、“ド”が付くほどケチで頑固な父親と、お酒が強くて呑むと踊り出す陽気な母親に育てられ、中学を卒業したと同時に集団就職で関西に出てきた。
小柄な青年は、魚屋で丁稚奉公し、それはそれは苦労したそうな。(当時の話は、涙なくしては聞けないほど・・・)
苦労に苦労を重ね、小さなお店を持った。
30歳を過ぎた頃だった。
ようやくお嫁さんを迎えられるようになり、同郷で7つ年下の女性を嫁にもらった。
もちろんお見合い結婚。
本人たち曰く、実際顔を見ることなく結婚したそうだ。
翌年、玉のような男児が生まれ、その翌年には恐ろしく泣き声の大きな女児が生まれた。
ちょうど店が軌道に乗り始めた頃で、夫婦2人はおんぶ紐でそれぞれ男の子と女の子をおんぶして魚をさばき、接客し、朝から晩まで働いたそうな。
3番目の女児が生まれる頃には、店も順調にまわっており、家族5人、裕福ではないながらも楽しく幸せに暮らしていた。
・・・ちなみに、その男の趣味は、貯金!
大きな海苔の瓶に1円玉をがっぽり貯めるようなそんな人間・・・。
しかし、まじめにコツコツ働き、お金を貯めたお陰で、夢のマイホームを手に入れた。
男、40代半ばのことだった―――――。


・・・“男”というのは、私の父のことです。
そして“恐ろしく泣き声の大きな女児”というのが私。(生まれた時から声も態度もデカかったのです:苦笑)

どんな逆境にも耐え、裸一貫から店を持ち、家まで建ててしまった父を私は心から尊敬しています。
いつも笑いの絶えない楽しい家庭を維持してくれたことも大感謝!

文字通り、両親の背中を見て育ったので(商売の良さ・悪さを目の当たりにしながら育ったので)、夫と海外でビジネスすることに躊躇いがなかったのかも・・・?
そう、父の生き様は、私のお手本になっているのです。

人生山あり谷あり、ままならぬことは山ほどありますが、父のようにどんな時も大切なものを見失わず、自分の夢に向かって地道にコツコツ精進し続けるような人間になりたいです。


2009/03/13(Fri)   

【関連ページ】
バタークリームの思い出 - 日々ch


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